1946年(昭和21年)
わずかに残った国内事業をもとに、新たな一歩を踏み出す。
東京都下に紅茶包装工場を開設。
1950年(昭和25年)
小田急ロマンスカー内で喫茶室経営を開始、「走る喫茶室」として評判に。
1951年(昭和26年)
静岡県藤枝市茶町に藤枝工場を開設、紅茶製造の基礎をかためる。
1958年(昭和33年)
「白丸缶(ダージリン)」発売。
1960年(昭和35年)
鹿児島県枕崎に直営の茶園と紅茶工場を経営、国産品種紅茶の改良育成などを行う。
1961年(昭和36年)
調理設備を備えた「日東紅茶キッチンカー」が登場。以後長年に渡り各地を巡回、紅茶の試飲サービスやいれ方教室など普及宣伝に努める。
日本で初めてティーバッグ自動包装機を導入。
「日東ティーバッグ(缶入り)」発売。以後、ティーバッグ全盛時代へ。
1967年(昭和42年)
藤枝工場、規模と設備で東洋一となる。
1970年(昭和45年)
紅茶輸入の自由化を目前に、原料茶全てを原産国からの直接買い付けに切り換える。